こんにちは、当ブログにお越しいただきありがとうございます。
このページは、サイト運営者「のますろ」が、どんな人間なのかについて書いてあるページです。
ぼくは「ほぼ毎日パチスロをやっていた」人間です。心の弱さ、ストレスに弱い人間なので、少しでも理解のある人が一人でもいてくれるとうれしい...そんな気持ちから少し詳しいプロフィールを書くことにしました。
パチスロとの出会い
パチスロとの出会いは大学生時代の20歳。場所は東京。
地方から出てきた田舎者である当時のぼくは「東京でギャンブルをやる」ということに少し憧れていたのかもしれません。
思うような人生を歩めず、なりたい自分にも近づけず、社会や学校、家族にたいして苛立ちを感じていたこともあり、なんとなく「アウトロー」な人生に憧れていたところがありますね、当時のぼくは。
(ほんとに恥ずかしい限り...)
アルバイトの先輩に連れられて近くのパチスロ店に行きました。
当時のパチスロ業界は「爆裂AT機」「ストック機」「技術介入機」が混在した「パチスロ業界がもっとも盛り上がっていた時代」といっても良いでしょう。
パチンコ・パチスロへの嫌悪感はなく、むしろ興味があった。
もともとなにかに夢中になるという性格ではなかったこと。
その当時のぼくが考えていた「かっこいい」のイメージとして、
かっこいい人のイメージ
- 酒
- たばこ
- ギャンブル
- 音楽
「社会への怒りを曲にして、たばこを加えてギターをかき鳴らし、シャウトする...」
そんな人間に憧れていました。いまでもまだ憧れているところがありますね、正直。
ただ、このイメージだと「女遊び」がありそうですが、ぼくの考えているカッコイイ男の理想像は、
- 一人の女性を愛し続け、そして守り抜く
だったので、特に、なにもなかったですね、えぇ。
と、そんな感じの人間に憧れていたところもありまして、パチスロに対してそれほどの嫌悪感はありませんでした。熱中できるモノを探していたということもあって、むしろ興味もあったし、パチスロを正直やってみたかったというのが本当のところです。
初めて触った機種は4号機「フジコ2」
初めて打った機種は4号機「フジコ2(平和)」という機種。
連れて行ってくれたアルバイトの先輩が勧めてくれた台でした。
5号機時代の現在でも人気のルパンシリーズ。その人気の火付け役となったのが「不二子2」です。人気アニメ「ルパン三世」シリーズの人気キャラクターが登場する大人気のパチスロ台でした。おもしろさはそれだけではなくて、
- 液晶と出目の楽しさ:リールのスベり・演出矛盾
- 大量美麗リーチ目
- 技術介入:DDT打法やビタリプレイ外しによる大幅な機械割アップ
- 最大711枚獲得可能なツインビッグボーナス搭載
- 高設定の機械割の高さ(完全攻略時:設定⑥機械割140%超)
など、パチスロの基礎からマニアックなところまで、打ち込むほどに楽しさがアップする機種でした。なので、初心者のぼくにもすごくとっつきやすかったです。
人気があり稼働もよかったので設定も入りやすく、上達するほどに中間設定でも勝てる機種ということもあってか上級者にも人気がありました。
当時は初心者で「BAR」もそろえられなかったぼくにも、隣の知らないプロっぽい人たちが丁寧にアドバイスしてくれるという島の温かさにも助けられ、すごく楽しかったことを覚えています。
’正直、パチンコパチスロ店はダークなイメージを抱いていましたし、遊技者もお金がかかっていますし、東京という場所にも怖いイメージがありました、いまでもありますが...。
田舎者でビビりなぼくは、いつも恐怖心を抱えながら、それでもパチスロを打ちに行くという生活をしていましたね。
大学は卒業できたけれど...。
大学はなんとか卒業しましたが、定期的に心が病んでしまい、学校にはいけず、アルバイトも休みがち。
それでもパチスロは打ちに行くという、当時からすでに廃人のような生活を送っていました。
時には、使ってはいけないお金を使ってしまい、家賃が払えなくなることもありました。
卒業はしたものの、就職活動はいっさいやらなかった...いや、できる状態ではなかったので、もちろん無職の状態。
なじめなかった東京という場所にひとり取り残された虚無感。しばらくはアルバイトとパチスロをしながら東京にすみましたが、どんどんと心がすさんでいき、心がすさめばパチスロでも大負けがつづく。
どうしようもなくなり、実家に帰ることにしました。
故郷に帰ってもパチスロ生活、そして借金生活へ。
廃人のような精神状態のまま、実家に帰り、なんとか就職。たくさんの企業と面談をかわして働かせてくれたのは、「大学卒業」という肩書きがほとんど意味をなさない接客業でした。
お客さんとやりとりをし、ニーズに聞き出しながらそれに応える。お客さまの来店や購入に心から感謝し、言葉にしてつたえ、できることを一生懸命にやっているだけでしたが、そんなぼくに会いにきてくれるお客さまもだんだんと増えていきました。
お客さまの優しさと職場の闇を知り、精神は崩壊寸前へ。
人とのコミュニケーションが苦手だったので、接客業なんて正直、いちばんやりたくなかった仕事なのですが、いざやってみると、お客さんのリアクションは好意的なものばかりだったので、そこにはすごくやりがいを感じていました。
しかし、仕事を続けていくうちに「みんなはできるのに自分だけがどうしてもうまくできないこと」がどんどん見つかるようになりました。
- 眠れないことが多く、基本的な生活のリズムがつくれない。
- 書類の不備やミスが異常に多く、在庫や書類の管理もうまくできない。
- 鍵のかけ忘れ、商品や道具の放置といったちょっとしたミスがかなり多い。
お客さまからはかわいがっていただいていたのですが、職場内での不出来さにたいして「職場の仲間」だと思っていた人たちの反感をかったようで、無視されたり、大きな声で叱責を受けたりするようになっていきました。
くわえて、職場内で不倫をしている先輩・上司がいたり、会社の物品を盗んでいる人たちもいるなど、どんどんと心をいためることがかさなり、そのストレスを発散するように地元でもパチスロにのめり込んでいきました。
しかし、地元のパチスロ店は東京にいたころに通っていたパチスロ店とは違って、設定状況や稼働率もかなり悪かったので、ほとんど勝つことができませんでした。しかし、精神は崩壊寸前で、もらった給料を一週間やそこらで全部パチスロにぶっ込んでしまうほど、心はすさんでいきました。
人生初の借金生活へ
使ってはいけないお金にも手をつけてしまっていましたが、家族や友人にも相談ができませんでした。
それでも、職場や家族には、何事もないように取り繕う必要があったので、生活費をおぎなうつもりで「消費者金融からお金を借りる」という選択をとりました。完全に正常な判断力を失っていたな、と。
深夜、確実に知り合いがいない場所にある無人契約機で「20万円」を借りました。
「給料もすぐにでるし、パチスロはもう打たないから大丈夫だ、すぐに返す!」
そう心に誓って借りたはずだったのですが、職場での状況は変えられなかったためにストレスをどんどんとたまり、発散する方法はパチスロだけ。
ついに「借りたお金でパチスロを打つ」というやってはいけない行動にでてしまいました。
結果はご想像のとおり、お金を返すどころか、さらに追加の借金へ。限度額に達し、他者からも借り入れ。
雪だるま式に借金が増える
20万→50万→100万→...
どんどんと借金は増えていきました。
精神科受診、そして借金を返すために友人からも借金。
そうなると、当然のことですが、職場でのストレスに加え、借金が返済できない督促に対する「恐怖」があわさって、いよいよ精神が崩壊。
体がうごかなくなってしまい、仕事は休職。人生ではじめて精神科を受診することに。
そのときの診察結果は「統合失調症」というもの。
いま思うと「発達障害ADHD」に起因した二次的な障害だったのだろうと思います。
ここで薬を処方してもらったのですが、書類の整理・管理がどうしてもできなかったぼくは、服薬すらまともにできませんでした。
しかも、ストレスはたまったままの状態。借金地獄になっている自分を認めることができず、ストレスはさらに加速。それでもまだパチスロを打ち続け、ついにパチスロを打つ金もなくなり、お金も借りられなくなりました。
もうほとんど廃人になりかけていたぼくの出した答えが「友人に借りる」でした。
そして、幸か不幸か、友人は疑うこともなくお金を貸してくれたのですが...。
長くなりそうなのでここまで
友人からの借金
ここからすこしずつ。ほんとにすこしずつ、自分をみつめなおし、悔いあらためることができるようになっていったのですが、長くなりそうなのでここまでにしておきます。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。自分でもいやになるくらいにろくでもない人間ではありますが、いまは助けてくれた方たちへの恩をわすれず、一日一日をしっかりと悔いのないように生きていこうという心境です。
お時間がありましたら、またのご訪問をお待ちしています。
管理人のますろ
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